ここんとこの読了本

有川浩,徒花スクモ図書館革命 図書館戦争シリーズ (4) (角川文庫)
本編が完結。寂しいけれどだらだら続けられるよりよかったのかな。最後は長編。原発へのテロが起きた、という冒頭シーンは今読むとあまりのタイムリーさに絶句してしまった。とはいえノリはいつもの雰囲気。堂上と郁の行く末も決着がついて、まさに「そして王子様とお姫様は…」という展開。
手塚と柴崎はああいう(どういう?)関係にしなくてもよかったんじゃ?と思う。作中に「玄田と折口みたいになっちゃうよ」というセリフか何かがあった気がする。これは玄田と折口の関係をやや否定的に捉えているのだが、私は玄田たちの関係はあれはあれでとても素敵だと思う。けど、作者の価値観か、もしくはこれを読む読者層を意識してかは分からないが、そこはあまりいい関係とは描かれないようだ。もっとも、素敵だと思えるのは私が今この年齢でこれを読んだからであって、もっと若い頃なら彼らを不幸な関係と思ったかもしれない。作者が意識しているのかどうかはわからないが、これは大人が読んでももちろん面白いが、ジュブナイルでもあるのでそういう年齢層を意識して描かれている部分がかなりたくさんあるんじゃないかと思う。
対談にあるが(稲嶺好きに嬉しいサプライズが!)、調べたことのほとんどを捨てる、というのは素直に感心した。図書館法や行政について相当調べているだろうし、現在の図書館行政についても色々と思うところはあったと思う。でもそういう物語に無関係の部分はばっさり切り落としているところがさすがプロの作家、というべきだろうか。
このシリーズは気に入ったので外伝も読む予定だが、作者の別の作品を読もう、という気にはなっていない。有川作品は私のような年齢及び読書歴が既にある人間を相手には描かれていないからだ。爽快感の後に物足りなさを感じてしまう。爽快感を得たい時は別の作品も読んでみるかもしれない。
歌野晶午魔王城殺人事件 (ミステリーランド)
このシリーズは子ども向けなので子どもの登場人物が多い。作者によって子どもの描き方がかなり違っていて面白い。歌野の描く子どもは、いわゆる子どもらしさは少ないかもしれないが、子どもに媚びていないという点でよかった。
江川紹子名張毒ブドウ酒殺人事件――六人目の犠牲者 (岩波現代文庫)
最近、こんなニュースを目にしました。

東電OL殺害 事件から14年で再審か[2011年7月22日8時28分 日刊スポーツ新聞社紙面から]
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110722-808792.html
 1997年に起きた東京電力女性社員殺害事件で無期懲役が確定したネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑者(44)の東京高裁の再審請求審で、被害女性の遺体から採取された精液を鑑定したところ、別の男性のDNA型が検出され、殺害現場に落ちていた体毛の1本と一致したことが21日、検察関係者への取材で分かった。

 確定した2審判決は、被害者が第三者とともに現場アパートの部屋に入ったことや、受刑者以外の男性が被害者を部屋に連れ込んだことは考えがたいと指摘。今回の鑑定結果は、事件の当日、被害者が現場でマイナリ受刑者ではない男性と接触した可能性を示唆しており、再審開始が認められる公算が出てきた。

 検察幹部は「足利事件とは違う。この証拠があるから無罪という内容ではない」と話しており、有罪立証は維持する。

 検察関係者によると、新たに検出されたDNA型は、警察が管理するデータベースに登録されておらず、被害者が殺害される前にホテルで会った知人男性とも一致しなかった。特定は事実上不可能とみられ、このDNA型の人物が事件に無関係との立証は難しく、この点もマイナリ受刑者に有利に働く事情となる。

 また、採取された精液は微量だったため、97年当時は技術的に鑑定できなかったという。

さて、名張毒ぶどう酒事件は、私が生まれる前の出来事でなのでリアルタイムでは知りません。でも最近、足利事件の菅家さんが無罪判決を得るなどのニュースで、他の冤罪事件としてよく名前が上がるのでそういう意味で見聞きしていました。奥西死刑囚は現在85歳。再審は行われないままですが、支援者も多くいるようです。この本は、奥西死刑囚が冤罪であるという点に立脚して書かれています。
事件の基礎知識がないので、ウィキペディアなどをちょろっと読んでみました。気になるのは、奥西死刑囚が冤罪であるならば真犯人は誰か?という検証があまりなされていないことです。そもそも事件からあまりに時間が経ち過ぎているし、真犯人がいたとしても天寿を全うしてしまったかもしれません。もしくは当初言われていたように、亡くなった被害者のうちの一人が真犯人だったのかもしれません。不謹慎ながらミステリ的な推理をしてみると、毒殺というのは女性が用いる手段であるとよく言われることから、やはり、奥西死刑囚の妻もしくは愛人が真犯人なのかも?
それはともかく本書で、そしてこの事件を語る際に必ず言われることに、村人の閉鎖性が挙げられています。平和なコミュニティの中で大事件が発生。人々は疑心暗鬼に陥り、奥西勝を一人スケープゴートにして村の平和を取り戻そうとする、と。
怖いことだけれど、この心理は何か、わかってしまう。学校でいじめが起こる心理もこんなところじゃないでしょうか。そもそも「仲がいいことで有名」ということほど胡散臭いことはないように思う。そう見えるとすれば、大勢が少しずつもしくは少数が沢山の我慢をしているから成り立つんだと思う。前者は独裁制で後者はいじめか?ともあれ「仲よきことは美しきかな」という価値観が重要、ってことなのか。私はあまりそうは思わないけど、今でも、仲が良くないよりはいい方がいいという価値観がある以上、第二第三の名張事件は発生するのかもしれない(和歌山カレー事件がそうだ、というのも目にした)。そういう、表面を取り繕っただけの仲の良さを強調するのをやめない?と思うんだけどなぁ。

乾くるみセカンド・ラブ