ここんとこの読了本

野沢尚リミット (講談社文庫)
三浦哲郎随筆集 春の夜航 (講談社文庫)
三浦哲郎氏は、去年の夏に亡くなりました。
氏は青森出身で、父親は早くに亡くなり、郷里の姉と母も既に亡くなっていました。つまり、氏は例の震災には合わなかったのです。氏は東京在住でしたので実際に被災することはなかったでしょうけれど、親類や友人知人が被災地に大勢いらっしゃったでしょうから、それを知らずに済んでよかったと思うべきなのかもしれません。でも、もし存命でいらっしゃったら、文学者としてこのたびの震災をどのように受け止め、どのような作品を書いてくれたかと思うと、とても惜しい気がするのです。
氏は、6人兄弟の末っ子でしたが、二人の姉が自殺、二人の兄の失踪を経験します。そのことは長編『白夜を旅する人々 (新潮文庫)』に書かれています。私は、氏の訃報を聞いた時、天国で、亡くなった家族と再会したのかなと思いました。再開して、彼らの胸のうちを聞いて、そしてまた「白夜」の続きを書いてくれないものかと思いました。
私は三浦哲郎の作品が好きです。先日、恩師にお会いして三浦哲郎氏のお話をしました。そのことはid:kasuriに書きましたが、その時、私は、自分の好きな作家が亡くなったのに、メディアがあまり取り上げないことへの不満を漏らしました。三浦哲郎氏は、優れた文学者であるけれども、とても簡単な乱暴な言い方をすれば時代にそぐわなく、消えていってしまう作家になるかもしれない。三浦氏の訃報を気にしているのは私くらいかもしれない、という言葉をいただきました。
私はその言葉を嬉しく受け止めましたが、三浦哲郎は好きだけれども、世の中にはもっとよい氏の作品の読み手がいるだろうと思いますし、私がそんな大そうなものではないとも思います。
そもそも、私は氏の作品が好きですが、まだ、全ての作品を読破したわけではありません。理由は、氏の作品は、どんなに短い短編でも言葉を丁寧に紡いで書かれているので、このせわしない世の中で時間つぶしに読むことはとてもできないからです。
一つの短編やエッセイを一日かけて読み、できれば数日その世界にひたり、考えることがあればどこかにそれをつづり、気が済んだら次の作品を読む。こんな読み方が理想ですが、宝くじでも当たらない限り、こんな読み方はなかなかできそうにありません。
少し、話は変わりますが、私は氏の作品が好きですが、何故好きか、どんなところが好きなのかということを第三者にわかるように筋道立てて話すことはできそうにありません。
ある程度はできます。というか、氏は青森出身ですが氏の父親は岩手の金田一温泉出身。私自身は違いますが祖母と母が岩手出身で、小さい頃から何度となく岩手の話を聞いてきましたので、訪れたことは少ないけれど私の故郷のような気がしています。そのことが、氏の作品を好きになるきっかけの一つではあります。
でもそれだけではないのです。が、その部分をうまく説明することはできそうにありません。そのことをもって、私の、氏に対する気持ちを否定する方がいらっしゃるならば、それはそれでいいような気がします。若い頃はそんなこと思ってもみませんでしたが、今はそれでもいいような気がします。
恩師のおっしゃるように、氏の作品は、時代に埋もれていき、数年後には読む人もいなくなってしまうのかもしれません。でも、私は変わらず好きだし、できれば一生、作品を手元に置いて気が向いた時に括りたいと思っています。(決してそんなことはないと信じたいですが)そんな風に読む、読者の最後の一人に私がなったとしても。