10月の読了本

『幽霊座』横溝 正史→【bk1】
マリア様がみてる 大きな扉小さな鍵』今野 緒雪→【bk1】
『猫島ハウスの騒動』若竹 七海→【bk1】
『偶然の祝福』小川 洋子→【bk1】
『ポケットは犯罪のために 武蔵野クライムストーリー』浅暮 三文→【bk1】
レッド・ドラゴン 上』トマス・ハリス【bk1】
レッド・ドラゴン 下』トマス・ハリス【bk1】
『そして、警官は奔る』日明 恩→【bk1】
『アルファベット・パズラーズ』大山 誠一郎→【bk1】
『バッテリー 4』あさの あつこ→【bk1】

簡単に、感想。
『幽霊座』JET漫画の「鴉」読みたさに読んだ。鴉は本陣を髣髴させる密室トリック、とはいえ結末はお粗末感がぬぐえない。JETの解釈がよかった。3作品とも、やりたいことは分かるけど、裏を返せば………な結末ばかりだった。それでも読ませる力はさすが、なのかな。
マリア様がみてる 大きな扉小さな鍵』うーん、やっぱりなぁ。意外だったのはここにきてある意味「少女漫画の王道」設定が登場したことだ。今までは敢えてそれを崩していたように見えたのだが。それにしてもストーリー展開上やむをえないとはいえ柏木が出すぎ。別に嫌いじゃないけど、柏木がいないと成り立たないストーリーってのがいやだなぁ。祐巳が妙に達観しちゃっているし。ま、とりあえず新刊出たらまた読みますが。
『猫島ハウスの騒動』作者にとても失礼だけど、ミステリ部分は適当に読んでしまった。それよりも、猫島の住人や猫島に訪れる人々、そして猫たちの日常を楽しく読んだ。いいなぁ猫島。行ってみたいなぁ猫島。登場人物(猫含む)が魅力的なのだ。といってもキャラが立っているとかそういうことではない。善でできているいいばかりの人や、悪でできている悪いばかりの人がいない。前ばっかり向いてる人や後ろばっかり向いてる人もいない。そのバランスが絶妙でリアル。光り輝く宝石の魅力ではなくて、民族調のアクセサリーのような「よく見ると素敵」な魅力がある人(猫)たち。いいなぁ猫島。行ってみたいなぁ猫島。(結局それなのか)
『偶然の祝福』何気なく手に取って何気なく読んだ。冒頭、これはエッセイか?と戸惑い思わず解説文を見ると「小説」。じゃ、私小説みたいなものかしら?と思ったら物語は予想外の方向へ飛躍していく。連作短編集…なのだけれど、時系列があっちへ行ったりこっちへ行ったり。読了後、年表を作ろうかと思ったが、そんなことに意味はないのだろう。ファンタジーだったり、エッセーだったり、私小説風だったり、ドロドロ昼メロ調だったり、少女小説風だったり、様々に様態を変える短編たちは、年齢を重ねるごとに変わっていく「女」そのものに見える。
『ポケットは犯罪のために』講談社ノベルズらしからぬPOPな表紙(維新などとはまた別の意味…。私は最近新宿駅でこの本を抱えたまま歩いている人を見た)に戸惑うが、中身はミステリ。一見してミステリだが、メタな仕掛けも含んでいる油断がならない一冊。雑誌既出の短編集に、幕間を書き下ろして見事に繋げた上、メビウスの輪的なからくりを仕掛けるのは、ジャンルを問わないエンタテイナー浅暮三文の尽きることないサービス精神の現れだ。「ダブエストン」を読んでいると尚、面白いのかも。私は未読なので分からないが。ここでデビュー作「ダブエストン」に繋がるというのも「メビウスの輪」的で面白い。さすが、やるなぁ。
レッド・ドラゴン』先日、TVで映画版を放映しており、時間の都合で少ししか見られなかった。それなら、と積読を手に取った。映画は途中から、しかも途中までしか見なかったのに、原作のかなり多くの部分をうまく説明していた。サイコキラーものは過去の流行で、今更とも思ったが、今読んでも面白い。しかもちゃんとミステリしている(下巻の残り50ページくらい)。ただ、作者が最初から映像化を念頭に書いたものなのか、説明不足に感じられる部分もあった(最後の方で、モリーと擦れ違いになってしまうのが分からなかった。行間を読め?)。映像ならそこんとこ上手に説明するだろうに…。と感じてしまう。やはり映画版を見た方がいいかも。
『そして、警官は奔る』シリーズ2作目。1作目に劣らず、よかった。潮崎が民間人なので、事件の絡ませ方に苦労したと思う。2作目は潮崎が再度警察官になるところから始まると思っていただけに意外だった。けれど存分に潮崎は登場し、その魅力を振りまいてくれた。事件はかなり後味が悪いのだが、潮崎の存在が中和してくれている。もちろん、考えさせられることは多くて、武本と潮崎がどんな答えを出していくのかは分からない。けれど、武本と潮崎という正反対のタイプの男たちが同じ方向を向いているなら、私はその答えを聞いてみたいと思う。
『アルファベット・パズラーズ』本格のいい香りがする短編(中篇?)集。「Pの妄想」は舞台設定は気に入ったけれど、トリックがいまいち。舞台とキャラクターは楽しめた。「Fの告発」は、トリックは凝っているけれど、現実味がない(という批判は的外れだろうけれど)。「Yの誘拐」は好き嫌い、分かれるだろうけれど、私は面白かった。作中に感じる違和感を、ほぼ全て伏線として拾ってくれたと思う。理路整然とした翻訳調文体で語られると、あれ?と思っても「そうなのか」と思わず納得してしまいそうになるのは、いいのか悪いのか。こういう理路整然さに「いや、でも私は」と反論できるタイプの人の方が、面白く読めるのか否か。
『バッテリー4』ハードカバーで読みました。ので、書き下ろし短編やあとがきは読んでいません。読了して思い出したのが、尾崎南の『絶愛』(『BRONZE』の前の、という意味)泉拓人=原田巧。じゃあ南條コージが豪か?と言われると困るしそんなことはない。今までの巻は原田巧の天才ぶりを描写するために費やされたが、この巻はある意味オヤクソクの展開で、天才の挫折。これだけを描いたらただの王道なので、一筋縄ではいかない瑞垣と天才バッター門脇の物語を同時進行させる。それぞれの思惑が擦れ違いながらある地点に向かって進みつつある。今回は原田巧(と豪)の物語は、巧のモノローグの多さの割には、水面下進行。困ったときの青波くんや巧と豪のハハオヤたちも、都合のいいキャラクターになってしまっている。門脇と瑞垣に感情移入できないと面白くなかった。

今月は他に、田山花袋の『蒲団』を読んだ。学生の頃、文学史に登場する作品くらいは読んでおくか、と入手したまま積んであったのだが…。面白いよ!これ。…と言っても、笑える、という意味の面白さ。文学的表現に惑わされそうだが、要するに小説家(純文学)になりそこねた三十男が、おしかけ弟子の女学生(二十歳)に懸想するお話。「この気持ちは隠しておかねば」と思いつつ、女学生が主人公の家を出て行ったら途端に酒の量が増えて、奥さんに八つ当たり(DVだ!)。そのうち、女学生にあっさり恋人ができる。苦悶しつつも、その恋の「よき理解者となろう」と決める男。が、プラトニックのはずが既にお手つきと分かった途端「売女に見えてくる」とまで言ってしまう身勝手さ。結局女学生は田舎に連れ戻され、男は女学生が使っていた蒲団に顔をうずめて泣く………。現代と、あまりにも違う感覚に、とにかく笑うしかなかった。文学史上で重要な作品が、現代も面白いとは限らないといういい一例なのでせうか。